古代天皇の謎(2)

 推古天皇までの33代の古代天皇の中に,かなり多くの架空の天皇が含まれていることは,まちがいありません。『古事記』にも『日本書紀』にも,神武天皇の事績は長々と記されていますが,2代から9代までの天皇(綏靖・安寧・懿徳・孝昭・孝安・孝霊・孝元・開化)に関しては,事績はほとんど記されていません。誰々の子であるとか墓がどこにあるかといったことが簡略に記されているだけです。
 この8人は,歴史の記述に欠けているところから,欠史八代といわれ,学者・研究者の多くは,架空の天皇であるとしています。初代の神武天皇にしても,東征伝説や建国神話に彩られていますが,架空の天皇とみてまちがいないでしょう。第10代の崇神は,もしかしたら初代の天皇であった可能性があります。その考証はさておき,他にも架空と思われる天皇が少なくありません。推古天皇までを33代と定めたのは「記紀」が編纂された8世紀の初めごろで,実際に初代から推古までは,15代~18代であったろうと考えられています。
 なぜ天皇を増やしたのかといえば,国史(天皇紀)を編纂するに当たって,建国の年を,推古期から1200年以上も遡らせて,紀元前660年と定めたことによります。なぜ紀元前660年なのかといえば,古代中国の讖緯(しんい)暦運説に基づく辛酉(しんゆう)革命思想によります。
 辛酉革命説とは,一元(いちげん=60年)ごとの辛酉年(かのととりの年)に革命が起こり,一蔀(いちぼう=21元すなわち1260年)ごとの辛酉年には国家的大変革が起こる,という思想です。
 そこで,当時の天文学や暦学または陰陽思想などに通じた学者たちは,推古9年(601年)が辛酉年であることから,この年を現国家体制の基点と考え,そこから一蔀すなわち1260年遡らせた紀元前660年を建国の年に定めたのです。なお,ここでいう紀元前660年は西暦ですが,わかりやすくするために用いています。日本の暦法からいえば神武元年(皇紀元年)ということになります。
 さて,推古天皇以前に1200年以上の歴史があったことにしたのはいいのですが,天皇の数が足りません。そこで架空の天皇をあれこれ加えて推古天皇までを33代とした,というわけです。ところが,それでもまだ足りません。そこで天皇の年齢を水増しし,百何十歳まで生きたということにして,辻褄を合わせたのです。『古事記』によれば100歳以上の天皇が8人,90代まで生きた天皇が2人です。
『日本書記』は100歳以上13人,80代が2人となっています。