邪馬台国の謎

 邪馬台国は,いったい日本のどこにあったのでしょうか。古代史上の最大の謎です。3世紀初頭の倭(わ)の国に君臨し,30もの国々を従えていたというヤマタイ国は,卑弥呼という女王が統治する強大な国でした。7万余戸もあったといい,1戸あたり5人とすれば,35万人もの人口をもつ大国です。中国大陸の魏(ぎ)の国に使者を送り,魏からも使者が来たほどで,ヒミコは魏の皇帝から「親魏倭王」の金印を授けられたとされます。ヒミコが死ぬと,巨大な墓が築かれたと「魏志倭人伝」は記しています。そのような大国の遺跡が,なぜ発見されないのでしょうか。
 ヤマタイ国について記した文献は,「魏志倭人伝」が唯一のものです。正しくは,「三国志」のうちの『魏書』の中に出てくる約2000字の「東夷伝倭人条」で,俗称が「魏志倭人伝」です。ヤマタイ国は,古代日本の文献には一切登場しません。『古事記』や『日本書紀』ができる約500年前にあったとされる幻の国ですから,記録がないのは当然です。
 そのヤマタイ国が,なぜかくも人気が高いのかといえば,「魏志倭人伝」に,3世紀はじめころの日本(西日本)を指すと思われる倭国の様子が,それなりのリアリティーをもって記され,強大な女王国の存在を彷彿とさせるものがあるからです。とはいえ,ヒミコについてもヤマタイ国の所在地についても,皆目不明です。そのことがかえって想像力を刺激し,ロマンを育んだといえます。ヤマタイ国の謎解きは,すでに奈良時代から始められています。それから千数百年,ことに近代以降は研究が盛んで,現代に至ってまさに諸説紛紛・百花繚乱です。しかし,謎はまったく解明されていません。
 所在推定地は,大きく北九州説と大和説に分かれますが,他にも沖縄や中国・四国・中部・関東・東北さらには朝鮮半島などの海外説等々,100を超える説があります。ヤマタイ国の発見は,もはや「魏志倭人伝」をどのように解釈しても不可能です。あらゆる可能性は,研究され尽くされたといっていいでしょう。決め手は考古学的発見だけです。ヒミコの墓やヤマタイ国の遺跡と証明される発掘が不可欠です。「親魏倭王印」の発見,あるいは魏との関係を記す文字遺物の発掘など。その可能性は極めて低いといわざるをえませんが,ヤマタイ国の存在が全否定されない限り,ゼロではありません。これからも,「ついに邪馬台国発見!」とか「卑弥呼の墓か!」などというニュースが,何年かに一度は登場し続けるに違いありません。その都度,日本人の多くは,ワクワク・ドキドキすることになります。さて今年は……。