夢窓疎石と天龍寺の創建

 天龍寺は,京都市右京区嵯峨にある臨済宗天龍寺派の総本山で,名勝として知られる嵐山にあります。京都五山の一つです。五山というのは,禅林(禅宗寺院)における寺格で,最高位に位置する寺院をいいます。必ずしも一定の寺院というわけではなく,時代によって多少の異動があります。
 天龍寺の創建は1339年(北朝の暦応2年=南朝の延元4・興国元年),足利尊氏が,夢窓国師(夢窓疎石)のすすめによって,吉野で亡くなった後醍醐天皇の冥福を祈るため,北朝の光厳(こうごん)上皇の院宣を得て,建立したものです。その2年後の1341年(暦応4年=興国2年),足利直義(ただよし)が同じく光厳上皇の院宣を得て定めた五山は,以下の寺々です。
 五山の第一が建長寺と南禅寺,第二が円覚寺と天龍寺,第三が寿福寺,第四が健仁寺,第五が東福寺で,準五山として浄智寺です。このうち建長寺・円覚寺・寿福寺・建仁寺・浄智寺は鎌倉にあり,南禅寺・天龍寺・東福寺が京都の寺院です。
 なお夢窓疎石は,鎌倉時代の末期から南北時代にかけて活躍した臨済宗の名僧です。「夢窓」は道号で「疎石」は法諱(ほうき)です。どちらも自称したものですが,「国師」号は,7代の天皇から贈られたものです。
 夢窓疎石は,1275年(文永11年・建治元年)の生まれで,宇多天皇9世の孫に当たるといいますが,さてどうでしょうか。しかし,若いころから,なかなか意欲的な僧で,天台・真言を学び,臨済僧となりますが,各地を巡って活躍しています。やがて臨済宗の黄金期が,夢窓によって築かれます。山梨県塩山の恵林寺(えりんじ)や京都の天龍寺などを建立し,南禅寺の住職を二度つとめています。また築庭家としても著名で,京都の西芳寺や天龍寺,鎌倉の瑞泉寺,甲斐の恵林寺など,いまにその名庭がのこります。
 さて,その夢窓のすすめによって足利尊氏は天龍寺を創建するわけですが,創建当時の寺域は,現寺地の10倍以上でした。造営には莫大な費用がかかります。
 その費用を捻出するために,室町幕府が元に派遣した貿易船が,天龍寺船です。博多商人の至本(しほん)がその任に当たり,第一船の帰朝時に銀5千貫文を収めました。
 天龍寺は,創建と同時に五山第二位に列せられ,1386年(北朝の至徳3年=南朝の元中3年)に同第一位,1401年(応永8年)に相国寺と交替して第二位となりましたが,1410年(応永17年)に第一位となり,その後も一位の地位を保ちました。「五山版」と呼ばれる禅宗関係の本を数多く出版するなどしましたが,たびたび火災に遭って寺力が衰えていきました。室町時代だけで6回も火災に遭っています。
 江戸時代になって1720石を得て,伽藍なども復興されましたが,幕末の禁門の変(1864年=元治元年)で全焼してしまいます。その後の再興は1926年(昭和元年)までかかりました。全盛時には100余寺の塔頭(たっちゅう)があったといわれますが,現在は境内に9ケ寺,境外に3寺です。それでもなかなかの大寺で,夢窓疎石による庭園は,西芳寺庭園と並んで有名です。また寺宝の「応永釣命(きんめい)絵図」は,国の重要文化財にも指定され,室町時代の地図として,貴重なものです。