江戸っ子の呼称と気質

     長屋には,武家長屋などもありますが,落語に出てくる熊さんや八つぁんが住んでいるのは裏長屋。今でいうなら裏街の安い賃貸アパートです。メインの通りに面した表店(おもてだな)の裏などや横丁にあったので,裏店(うらだな)ともいいます。  裏長屋の住人は,大工や左官などの職人,棒天振(ぼてふり。魚や野菜の行商人),表店の下っ端の使用人,日雇いの労働者など,当時の下層階級の人たちです。なかには,占い師や手習いの師匠,長唄や俳諧の宗匠などもいました。いずれにせよ,日銭(ひぜに)で生活している人たちです。
 裏長屋は,向かい合わせに2棟あって,中央の通路の両端に表木戸と裏木戸があります。通路のまん中にはドブがあって,板でふさいでいます。木戸は明け六ツ(午前6時前後)ごろに開けて,暮れ六ツ(午後6時前後)ごろに閉めるのが習わしですが,五ツ刻(午後8時ごろ)から場合によって四ツ刻(午後10時ごろ)まで開いていたといいます。
 井戸は多くの場合,どちらかの棟の中央に2軒分ぐらいスペースをとって,掘られていました。井戸の囲りは洗い場で,長屋の女性たちの井戸端会議の場というわけです。トイレは,裏木戸の近くなどにありました。二連か三連の共同便所ですが,朝など順番待ちで大変だったと思われます。
 裏長屋の一軒の面積は,俗に9尺2間といわれました。間口が9尺(約2.7m),奥行が2間(約3.6m)というわけです。実際の奥行は2間半(約4.5m)でしたが,坪数にして3.75坪(約12.4㎡)です。間口9尺のうち6尺が玄関,残りの3尺が台所です。実際の住居スペースは6畳ぐらいということになります。台所にあるのは水がめとかまどだけ,家具はほとんどなく,わずかな食器とせんべいぶとんぐらい。火事のときは身一つで逃げればいいわけです。とはいえ,6畳ひと間に一家族が住んでいたのですから,かなり窮屈だったろうと思われます。もっとも,それが当たり前であれば,さほど苦にならなかったかもしれません。
 裏長屋を取り仕切っていたのは大家(おおや)で,住民は店子(たなこ)と呼ばれていました。「大家といえば親も同然,店子といえば子も同然」といわれ,店子は旅行へ行くのも嫁をもらうのも,何かにつけて大家の許可が必要でした。いっぽう大家は,店子について一切の責任を負っていました。店子に不都合があれば大家も取り調べを受けました。
 ところで大家には,家賃のほかに結構な収入源がありました。何だと思いますか?
 じつは,共同便所の糞尿です。なぜそんなものが利益になるのかは,次回で……。