江戸っ子の呼称と気質

「江戸っ子」という呼称がいつできたのかは,はっきりしません。大久保彦左衛門が名づけ親などともいわれますが,これはあやしい。江戸の下町に住んだ町人たちを江戸っ子というようになったのは,江戸の中期ごろからです。江戸はもともと地方出身者たちによってつくられた町ですが,代を重ねれば,江戸生まれの江戸育ちということになります。とはいえ,彼らのすべてが江戸っ子というわけではありません。
 江戸っ子とは,町人階級の中でも地位の低かった職人や棒手振(ぼてふり)らで,神田明神と山王権現の氏子の土地に生まれ,三代以上住んでいる者たち。地域でいうと,お茶水(おちゃのみず)から万世橋,柳橋をくぐって隅田川に入る神田川と,麻布を流れて芝公園,金杉橋をくぐって江戸湾に入る渋谷川,この二つの川に挟まれた土地に生まれ育った者たちをいいます。とはいえ,どこに生まれ育った者を江戸っ子というかについては,他にもいくつかの説があります。
 芝で生まれて神田で育っても,お金持ちを江戸っ子とはいいません。「宵越しの銭は持たない」のが江戸っ子の信条です。たとえば,天秤棒を担いで野菜や魚などを売り歩く棒手振は,朝早く金貸しから烏金(からすがね)を借りて品物を仕入れ,夕方には借りた金を返すという,その日暮らしです。カラスが朝に飛び立ち夕方に寝ぐらに帰るまでの間に借りる金なので烏金というわけです。「江戸っ子の生まれそこない銭をため」という川柳がありますが,金儲けをするような奴は江戸っ子にあらず,というわけです。
 江戸っ子気質といったものがあります。列記すると,金もないのに向こう気だけは強く喧嘩早い。物に対する執着心が薄い。見栄っ張りで気前がいいが,生き方は浅薄で軽々しい。人情にもろい。とまあ,そんなところでしょうか。
 「江戸っ子は五月(さつき)の鯉の吹き流し」という川柳もあります。喧嘩も早いが仲直りも早い江戸っ子は,口では罵っても腹に一物などない,というのです。ところがのちにこの句に,「口先きばかりはらわたはなし」という下の句がついた。口は達者でも内容がなく空っぽだというのです。まあ,どちらにせよ,江戸っ子気質をいい当てています。
 両国の江戸東京博物館や深川の江戸資料館で,江戸っ子の暮らしを見ることができます。長屋などに住んでいた彼らは,所帯道具といったものを,ほとんど持っていませんでした。江戸は火事が多く焼け出されることもしばしばでしたが,物を持たない彼らは平気です。
 さて次回は,そんな江戸っ子たちの長屋の生活を見ていきます。