江戸の四大祭り

 日本には無数といっていいほどに神社があり,祭神もまちまちです。神話伝説上の神々から実在した人物,さらに山川草木から岩や石まで,ご神体は何でもありです。そうした神社が栄えてきた理由の一つに,祭りがあります。有名神社の大祭から,鎮守さまの村祭りまで,また境内で催される縁日など,祭りには日常から解放される庶民の楽しみがあります。
 江戸っ子の祭り好きは相当なもので,天下祭りの際などは,女房を質に入れてまで,というほどの入れ込みようでした。もちろん,八つぁんや熊さんの女房が質草になるはずはありませんが,借金をしてまで祭りに入れあげたのは事実です。
 天下祭りというのは,6月15日の山王祭と,9月15日の神田祭りのこと。いずれも,多くの山車(だし)や屋台などに守られた神輿(みこし)が江戸城内に入って,将軍がこれを上覧しました。そのために天下祭りまた御用祭りと呼ばれたのです。夏祭りと秋祭りですが(今の暦では7月と10月),氏子たちは夜を徹して山車や屋台を派手に飾りつけ,15日の夜が明けると一番山車から順に行列を整えて江戸の町を練り歩き,途中で神輿を迎えて江戸城中に入りました。その間,屋台の上では歌や踊りが演じられ,通りの家々は金屏風を立てたり,衣装を飾るなどして贅をこらしました。山車や屋台は各町ごとがそれぞれに工夫をこらしてしつらえるのですが,華美を競ってお金がかかり過ぎ,借金をしてまでという有様になります。このため,天和元年(1681)から両祭は,年ごとに交互に行なわれることになりました。
 江戸っ子が熱狂する天下祭りは,年に一度となったわけですが,江戸にはまだまだ祭りがありました。ふつう三大祭りというのは,二つの天下祭りに,浅草の三社祭りを加えたものです。5月18日に催された三社様の祭りも大いに賑わいました。また三社祭りにかえて深川八幡(富岡八幡宮)の祭りと天下祭りを併わせて三大祭りとする説もあります。浅草っ子と深川っ子でそれぞれに三大祭りの一つが違うわけですが,ひっくるめて江戸の四大祭りということで文句はないでしょう。
 なお深川八幡と神田明神の氏子も仲がよくありません。これは,元禄時代以降,深川八幡の境内で,たびたび成田山新勝寺の本尊の不動明王の出開帳(でかいちょう)が行なわれたから。このお不動様は平将門討伐に霊験があったという像で,神田明神は平将門を祀る神社だからです。
 四大祭りは今も続いています。ただし日時は昔と少し異なります。山王祭は6月15日を中心に一週間,神田祭りは5月15日前後の土日,三社祭りは5月17,8日前後の土日,深川八幡祭りは8月中旬の土日で,3年に一度が大祭となります。