月: 2023年8月

編集者のひとりごとを更新しました。

編集者のひとりごとを更新しました。「Hope (  ) Eternal, Summer of Corruption, (  ) from Innocence, A Winter’s Tale

Hope (  ) Eternal, Summer of Corruption, (  ) from Innocence, A Winter’s Tale

これらはスティーブンキングの小説作品の副題です。
主題とあわせると

Rita Hayworth and Shawshank Redemption-Hope Springs Eternal
Apt Pupil-Summer of Corruption
The BodyFall from Innocence
The Breathing Method-A Winter’s Tale

というタイトルで,
この4作品が1冊のペーパーバック本に収められており、
副題には四季を表すspring,summer,fall,winterが使われています。

1つめの作品は『ショーシャンクの空に』として,
3つめは『スタンド・バイ・ミー』として映画化さています。

私は『ショーシャンクの空に』が好きで,
学生時代にこの原作(英語版)を辞書を片手に読みました。

この原作の副題は
Hope Springs Eternal(希望は永遠に湧き出る)。

springには「春」という意味のほかに「湧き出る」という意味があります。

『ショーシャンクの空に』では,
過酷な状況でも「希望」を持ち続けようとする主人公が描かれていますが,
この副題は,希望がspring「湧き出る」のと「春」をかけているのですね。

3つめ『スタンド・バイ・ミー』の副題は
Fall from Innocence(純心から落ちる)。

fallには「秋」という意味のほかに「落ちる」という意味がありますね。

大人になるにつれ,いつしか童心を忘れてしまうことを,
fallを用いて表しているのでしょうか。

原作の小説は映画とはまた違った味わいがあります。
日本語訳版も出ていますので,
まだ読まれていない方はぜひ手に取ってみてください。
<英語担当S>

#英語 #小説

ちはやぶる日本史を更新しました。

ちはやぶる日本史を更新しました。「囚人の遺体解剖を見学する

囚人の遺体解剖を見学する

 日本における,西洋解剖書の本格的な翻訳本である『解体新書』が,杉田玄白・中川淳庵(じゅんあん)・石川玄常(げんじょう)・桂川甫周(ほしゅう)らの協力と,前野良沢(りょうたく)の翻訳指導によって成ったのは,安永3年(1774年)の仲秋(8月)のことでした。その経緯については,玄白の回想録『蘭学事始(らんがくことはじめ)』に詳しい。
 明和8年(1771年)3月4日,江戸千住(せんじゅ)の小塚原(こづかっぱら)の刑場で行なわれた腑分(ふわけ)〔解剖〕を見学した杉田玄白・前野良沢・中川淳庵らは,たまたま玄白・良沢が持参したクルムスの解剖書の蘭訳本に載っていた解剖図と腑分の実際とが,あまりにもよく似ているのに驚き,医家である自分たちが,人体の構造にいかに無知であるかを知って恥じるのでした。彼ら同志は,翌日から築地の中津藩邸内に置かれた前野良沢邸に集い,オランダ解剖書の訳述事業を始めます。『蘭学事始』によれば,原稿を書き改めること11回に及び,何とか刊行できたのは,安永3年仲秋(8月)のことでした。全4巻から成り,本文はすべて漢文によって訳されました。別に,序文と付図を載せた『序図巻(一巻)』があります。現在『解体新書』は,『日本思想大系』65に収録されています。解体新書によって,西洋解剖学についてのあらましが,はじめて日本に紹介されたのでした。それまで,日本の医師・学者は,在来の中国伝来の五臓六腑流の考え方より,あまり進歩していなかったと思われ,非常に驚いたと思われます。また,その序図巻は,杉田玄白の訳による序文と凡例を載せたのち,解剖図を21葉にわたって掲げています。それらの多くは,原書にあたる解剖図を模刻したものですが,『解体新書』の図譜には,クルムスの原書に載っていないものも見られます。つまり,玄白らは,クルムスの解剖図の他に,いくつかの西洋解剖図譜を引用していることが知られているのです。
 また『解体新書』の図譜を写したのは,秋田藩士の小田野直武で,刊行された『解体新書』に掲げられた解剖図は,直武の写したものを木版に起こしたものです。クルムスの解剖図と比べると,精巧さの点でかなり劣ります。直武の写しが木版であるのに対し,クルムスのものは銅版画であり,優劣はやむをえません。とはいえ,直武の解剖図が,西洋の解剖図をよく伝えているのは驚きです。
 とはいうものの,玄白は,高弟の大槻玄沢に改訂を命じました。そこで玄沢は,さっそく改訂版に着手するのでした。寛政10年(1798年)には,序・付言・旧序・凡例を載せた第1冊の他に,本文4冊・名義解6冊・付録2冊から成る『重訂解体新書』の大体を書き上げたのです。刊行が成ったのは,文政9年(1826年)のこと。改訂版に取りかかってから刊行に至るまで,30年近くの歳月が費やされたのでした。
 

新刊の主な実績を更新しました。

新刊の主な実績を更新しました。